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あばら骨がいたい。ひだり側の下の方の骨。4、5日前からいたい。呼吸をするたびずきずきいたむ。くしゃみをしたり鼻かんだりすっと、ずっきんいたむ。大きく深呼吸してもいたむ。早くいたみとれないかなぁと思っている。 あばら骨がいたいことは誰にも言ってない。ここ限定という無意味さ。たぶん自分以外の方々に伝えたところでむちゃくちゃどーでもいいことだろう。自分にとっては、なんにしろいたみがつきまとってきて、心臓が動いていることよりも実感的に重要なのだけど。整骨院みたいなとこに行こうかなぁとも思うけど、たぶん2、3千円支払うことになる。そしたら、あぁもうちょい我慢して自然治癒すりゃあ、CD買えたなぁってな気持ちになるから、まだ行かないと思う。ほんとむちゃくちゃどーでもいいことをいまこうして書いてる最中も呼吸するたび、左のあばら骨の下の方がずきずきいたむ。 ほんとむちゃくちゃどーでもいいことをなぜゆえにこうして書いてるかというワケを強引に書くとすると、つまり自分以外の誰かから聞いた、自分にとってはむちゃくちゃどーでもいいと感じることが、案外その発言者にとっては、心臓が動いていることよりも実感的に重要なことなのかもしれないということ。そこをぼくらは、ないがしろにして、「ふーん。」で終わらしてしまう残酷さというか、虚しさ。ほんとうに自分にとって重要なことは、だいたい、自分以外の人にはどーでもいいことで...。以下、飽きてきたので終了。 あばら骨のひだり側の下の方がいたい。心配してほしいわけでも、同情してほしいわけでもない。ではなぜアピールしたいのかと問われれば、心臓が動いていることよりも実感的に重要な自分のことをただなんとなく伝えたくなっただけだ。 『伝えたいことがあるんだ。きみのことがすきだから。』-小田和正